全く帰られたサマリヤの女

 暑い日々も終わりに近づきつつあります。教会では9/2(土)、9/3(日)に特別伝道集会を計画しております。そのことに関連してふと、改めて証しとは何か考えさせられました。聖書には主の証し人が次々と登場して来ます。その一人が、イエス・キリストと出会って真の悔い改めに導かれ、全く変えられたサマリヤの女を思い起こします。彼女は証の見本のような人物ではないでしょうか? 

 彼女が登場するのはヨハネ44節以降です。ヨハネ4:7では次のように記されています。「ひとりのサマリヤの女が水をくみに来た。イエスは『わたしに水を飲ませてください』と言われた。」これがイエス・キリストとサマリヤの女との最初の出会いでした。それは不思議な出会いでした。当時、聖書に記されている通り、ユダヤ人はサマリヤ人とは交流しませんでした。(歴史上の変遷を経て)さらに、当時、ユダヤ人男性がサマリヤ女性に声を掛ける等あり得ないことでした。イエス・キリストとの会話から身体の渇きから霊の飢え渇きへ話題が移っていきました。彼女は次のように主に語っております。15節「女はイエスに言った。『先生。私が渇くことがなく、もうここまでくみに来なくてもよいように、その水を私に下さい。』」これに対して「イエスは彼女に言われた。『行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。』」これが彼女の闇の部分、罪だったのです。そのところを主は鋭く突いてきました。しかし、彼女は苦しくても、辛くてもそこから逃げませんでした。ここから、真の悔い改めが始まったのです。彼女は5回も結婚しながら破綻し、現在は同棲中という自堕落な生活の中にあったのです。しかし、心の深い部分で呻き、空しさ、満たされない思いがあったのでしょう。それが、イエス・キリストとの出会いによって全く変えられたのです。人目を忍んで隠れた生活をしていた者が人々の中に入っていったのです。ここに真の証し者が誕生しました。

イエス・キリストの恵みが彼女を変えたのです。「光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」(ヨハネ1:5