ただ恵みによって

 今年はルター宗教改革500周年の記念すべき年です。教団主催の聖会も11月2日~4日まで行なわれます。これは決して単なる記念行事ではありません。当然、そのことは皆様もご存じの事と思います。自分自身の信仰の原点に立ち返り、それを再確認する時とさせていただきましょう。 
  さて、宗教改革の特色の一つとして信仰義認があります。ルターがローマ・カトリックの修道士であった時代、不思議な事がありました。それは、神の救いに与かるためには、イエス・キリストを信じるだけでなく、同時に善行を積むことが求められていました。ルターは真剣に厳格に善行を積むことを必死に行なったようです。しかし、どれほど熱心に真剣に善行を行なっても、心に平安が与えられなかったのです。これはおかしい、何か違うと彼は探求していきました。
  そして、ついにその答えを聖書から発見したのです。福音の再発見とでも言うでしょうか。 次のみことばが思い出されます。ローマ3:23「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず」と書かれてあります。私たちは神の視点からすれば皆、罪人です。罪の根があります。だから、ルターがどんなに熱心に真剣に善行を積んでも平安を得ることが出来なかったのは納得出来ます。時至って、神は罪に汚染されている私たちを省みてくださいました。そして、私たちの罪の身代わりとして主を十字架刑で処罰されました。そして、主は3日目に蘇りました。これは、神の側で現わされた先行の愛なのです。私たちが弱くて、罪深くて、いや、神に敵対していた時から示された先行の愛です。愛は言葉だけではなく、結果として行動も伴います。このイエス・キリストをもう一度、心新たにさせられて信じ直す時とさせていただこうではありませんか。それが、ルター500周年の記念の年として相応しいさわしい過ごし方ではないでしょうか。
「ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスの贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」ローマ3:24