圧倒的な勝利の主

 112日~4日まで教団主催で開催された「ルター500聖会」の講師が語っていたことばが印象に残っています。クリスチャンとは「自分で自分を救うことから解放された人々」という表現をされていました。 

  マルチン・ルターを通してなされた宗教改革以前は、神の救いに関して次のように教えられていました。神の救いに与かるためには、神に受け入れられる善行の功績が必要とされていました。それに対してルターは、聖書から福音の再発見をしました。三つの「のみ」がありますが、特に信仰のみ(信仰義認)は先述の「自分で自分を救うことから解放された人々」に合致します。神の恵みに感謝します。

  では、恵みによって救われた者達の信仰の歩みはいつも勝利に導かれているでしょうか?残念ながらそうではないでしょう。Ⅰヨハネ5:4-5には次のように記されています。

「なぜなら、神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。世に勝つとはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。」イエス・キリストご自身は罪と死と悪魔から勝利されたお方なのです。クリスチャンはこの圧倒的な勝利の主ご自身を内住しているのです。何と心強く、平安に満たされていることでしょう。しかし、現実の歩みの中で主を見失しないがちになります。その時はもう一度、いや何度でも悔い改めつつ、十字架の主を見上げることです。その時、「あなたの罪は赦されたのです。」という赦しの宣言のことばを聞くことでしょう。そして、再び信仰の歩みを進めていくのです。

 私たちは信仰生活をあまり難しくしないことが大切です。そして、継続です。継続は力なりです。

 そのためにも私たちはもっと切実に主に叫び求めることが必要ではないでしょうか?そして、圧倒的な勝利の主によりすがって歩むことです。

 いつか信仰生活の歩みを振り返る時、そこには恵みの足跡がくつきりと残っているのを見出すことでしょう。