キリストにあって私たちは一つ

    今年の教会の定期総会は1/28(日)でした。それから、実際的な働きが始動しております。今年の指標聖句は昨年と同様です。従来の良き事柄は残しつつ、新しい事も取り入れていけたらと願っております。

  ところで、教会という言葉は「エクレーシヤ」が使われているのはご存じの事と思います。これは「呼び集められた者」あるいは「神の民の集まり」と訳されております。言葉の意味を追っていきますと教会とはキリストによって召されたキリストにある生きた共同体とも言えます。どこまでもイエス・キリストが中心です。そのように考えますと救いに与かった一人一人は尊い宝の民だと言えます。また、教会生活と信仰生活とは決して切り離すことの出来ない必然的な結びつきでもあります。

  そして、イエス・キリストに連なる者達にはそれぞれ、賜物あるいは役割が与えられておれます。エペソ4:11には次のように記されています。「こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師としてお立になったのです。」一人一人に与えられた役割は異なりますが、その使命を与えてくださったのは主自身です。ですから、その働きを果たすための力も主が与えて下さいます。それは、キリストのからだ(教会)を建て上げためなのです。ですから、高ぶりや悪巧みや人を欺く悪賢い策略によって惑わされないようにしましょう。それよりも、キリストの愛に満たしていただきましょう。そして、キリストにある一致をもって、調和によりそれぞれの賜物が生かされていくことを目指して歩んでいきましょう。

「キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しつかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。」エペソ4:16

 信仰生活の歩みが豊かに祝福され ますように。また、互いに必要を覚えて祈り合いましょう。