福音がもたらす平安


Ⅰ 私達には平安が与えられている
  ヨハネ13章からは、イエス・キリストが十字架刑に架けられ直前、弟子達とともに過ごした際に語られた告別説教が記されております。その中で、主にある平安についても語っております。ヨハネ14:27のみことばです。「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたに平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてなりません。恐れてはなりません。」主が与える平安とは、この世が与える平安とは全く質が違います。なぜなら、神の御子イエス・キリストが十字架の贖いを通して、与えられる神との和解による平安だからです。私達はこの世にあっては患難があります。しかし、それに振り回されて、心の深みまで動揺することはありません。それは、主によって救われた者達は主の平安が心の奥底に注がれているからです。感謝なことです。
Ⅱ 私達に平安を与えるために
  主イエス・キリストは私達の罪の身代わりとなって十字架に架かられ、三日目に復活しました。これは福音の真髄です。最、ルーテル同胞教団では、十字架の神学という言葉が使われるようになってきました。この意味は何か特別な難しいことではなく、人の心の動機と関わっていると知らされます。物事を考え捉える時に、まず、人中心
や行ない中心ではなく、キリストの十字架中心に物事を見ることです。繁栄や成功の中に神がいるのではなく、十字架で死に救いを成就されたように、私達の罪、困難、挫折、試練にこそ神はおられ、十字架と復活において私達は、すでに祝福されているということです。福音の再発見です。
Ⅲ 私達に平安が与えられ続けるために
 私達は救われた罪人です。十戒に照らされる時、何とも情けない愚かな、罪深い自分自身の姿を知らされます。その時に、自分のありのままの姿に蓋をしないことです。また、強がらないことです。そのままで、神の前に出ましょう。必要ならば、悔い改めましょう。その時、神の赦しの確信が与
えられるのです。
 クリスチャンの歩みは生涯、神の赦され
つつ、他の人々を愛し、仕えていくことでしょう。恵みの中で歩み続けましょう。