イエス・キリストから目を離さないで

 新しい2019年が始まりました。信仰の歩みをヘブル書12:1-3から見ていきましょう。

 忍耐をもって走り続ける

 一般的にですが、年齢を重ねていきますと物事に対する、ワクワク感が失われていくとの事です。ですから、時間の経過が早く過ぎ去っていくように感じるのです。では、信仰者の場合は如何でしょうか?ヘブル書12:1には、次のように記されています。「……私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。」私達の信仰の歩みは、競走であって、競争ではありません。競争であるならば、他者との勝ち負けが出てきます。しかし、信仰者は、自分の前に置かれた歩みを主の手にすがりながら、自分のペース配分を進んでいくのです。その際に必要なことは、主にある忍耐でしょう。現代では、死語に近い言葉でしょうか?単なるやせ我慢とは本質的に違います。そして、天国への道は出来るだけ、身軽が良いでしょう。いっさいの、重荷やまとわりつく罪をかなぐり捨てて歩んで行きましょう。競争とは、神の国民全員が指定されている距離を自分のペースで走り切ることです。と書かれている信仰書がありました。納得です。

 イエス・キリストを見失わないで

 Ⅰの事柄を可能にするためには、イエス・キリストの眼差しを想い浮かべることも大切です。イエス・キリストは私達の罪の身代わりとなって残虐な十字架上で死なれました。そして、3日目に蘇りました。主を信じる者達には、日々、主のある希望と赦しが与えられております。何と感謝なことでしょう。また、主は知恵と知識に富んでおります。このお方には無尽蔵の宝が隠されています。自分を見るならば、弱さ、無力感、罪深さだけしかありません。しかし、目を転じて主に視線を合わすなら、そこには光が輝いております。主を、見失わないで主とともに、喜びと感謝の日々を今年も過ごさせていただきましょう。「このキリストのうちに、知恵と知識の宝がすべて隠されているのです。」  (コロサイ2:3)