ちょうどその日に


 日本では、3月~4月は移動の季節とも言えるでしょう。進学、就職、転勤、退職等、出会いと別れの季節とも言えます。
 ところで、出エジプト記に記されているイスラエルの民は何と約430年間も故郷を離れて住みついていました。それは、苛酷な重労働を日々強いられる奴隷の生活でした。イスラエルの民は、この苛酷な状況を神に叫びました。その時の思いが書かれています。「……イスラエル人は労役にうめき、わめいた。彼らの労役の叫びは神に届いた。神は彼らの嘆きを聞かれ、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。」(出エジプト記2:23-24)
それからどれ程の時間が経過したのでしょう。指導者モーセにより、エジプト脱出を試みます。しかし、うまくいきません。エジプトの王パロは、9つの災禍が国中を襲った時、悔い改めたそぶりを示しました。しかし、それは、真実な悔い改めではなかったようです。10番目の災いによってついに、イスラエルの民を追い出す決意をします。それは、エジプトの人から家畜に至るまで、すべての長子(初子)を打つことでした。当然、パロ王の子供もその中に入っています。出エジプト記12:30「…エジプトには激しい泣き叫びが起こった。それは死人のない家がなかったからである。」このようにして、イスラエルの民に、エジプトを出る絶好の機会が訪れました。また、出発に際して、民に備えることをモーセとアロンを通して神は語っております。「あなたがたのいる家々の血は、あなたがたのためにしるしとなる。わたしはその血を見て、あなたがたの所を通り越そう。わたしがエジプトの地を打つとき、あなたがたには滅びのわざわいは起こらない」(出エジプト記12:13)これは、傷のない子羊の血を門柱とかもいに塗ることによって、主のさばきが通り越されていくことを意味していました。それは悔い改め、主イエス・キリストの十字架を仰ぐ時、信じる者達に与えられる罪の赦しが与えられ神のさばきが通り越されていくことと同じでしょう。主の恵みに感謝します。