真の満たしを求めて



 2020年も早くも1月が過ぎようとしています。今年はオリンピック・パラリンピックイヤーでもあります。数年前から着々と準備が進められ、関係者のみならず、テレビで鑑賞する者達にとっても楽しみなことです。向上心は大切な心得でしょうが、同時に自分自身の限界を知らせていただくことも大切です。また、関連ですが現代は物質的には満ち足りているけれど、何か心が満たされない、不満足の時代のような印象を受けます。第二次世界大戦直後は、特に人々は肉の糧を得るために無我夢中で働いた時代でしょう。それから、75年が経過しています。
 ところで、ピリピ書を読んでいきますと神が与える満足について教えられます。ピリピ書4章11節~12節には次のように記されています。「乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。」私達が今、置かれている境遇は時間とともに変化していきます。境遇の変化により一喜一憂していたのでは、ストレスを抱え込んでしまいます。
しかし、神が与える真の満たしあるならば心の表面は波立っても、心の奥深くは神の平安が横たわっているのです。この平安は、どんな状況でも、いつでも、求める者には間違いなく与えられます。感謝が溢れてきます。
伝道者パウロも様々な苦難を通らされて、神にあって満ち足りることを学んだのでしょう。その間、私達と同じように、焦り、不安、不満、恐れ、葛藤が襲いかかって来たことでしょう。しかし、勝利の主イエス・キリストによりすがり歩まれたのでしょう。私達もたとえ、現実が受け入れ難いとしても、時間を多くかかったとしても、そのことを受け止め、受け入れることが出来るなら新たな道がきっと開かれていきます。「しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。」