たましいの幸いを



 2020年も後半の歩みに入りました。今年はオリンピックイヤーということで、スポーツの祭典で華やぐ年になるだろうと最初は考えていました。ところが、この新型コロナウィルスの感染拡大により、日常生活が一変したようです。しかし、全知全能のお方に委ねつつ、コロナウィルスの収束もそうですが、すべてのことを祈れることは幸いです。ところで、ヨハネの手紙第三2節には、たましいに幸いを得るようにと祈りが勧められております。
Ⅰたましいに幸いを得る祈りについて
「愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。」(ヨハネの手紙第三、2節)
 私たちは三つの部分によって存在していると言われております。体、精神、霊です。神を信じていない方々は、霊(たましい)のことについて、あまり関心がないようです。ですが、聖書によれば、まず、たましいに平安があってこそ精神や体も安定するのです。真の健康を取り戻すというか…。病気の場合もありますので、一概には言えませんが。さて、この手紙の受け取りのガイオは、真理に歩んでいることで称賛されています。差出人のヨハネはどんなに喜んだことでしょう。真理に歩むことにより、真実な行いにも繋がっていくのです。
Ⅱ残念なデオテレペスについて
 この方の記述はヨハネの手紙第三9節-11節にあります。彼は彼らの中でかしらになりたがっていると書かれています。自己顕示欲、自己中心でしょうか?ここからは反面教師として学んだら良いかと思われます。
11節には次のように記されています。「~善を行う者は神から出た者であり、悪を行う者は神を見たことのないものです。」誰もが、デオテレペスのようになりうる可能性は持っているのです。罪の性質がありますので。聖霊に心を探られながら、悔い改めつつ、主の十字架を見上げて、主の赦しを確信しましょう。そして、それぞれが置かれた所々にあって、世の光、地の塩の役割を喜んで果たす者とさせて頂きましょう。