神と人に愛される者として


 神はすべての人を祝福したいと願っておられます。
Ⅰ神の祝福とは何か?
 神の祝福のことばには大きく分けて、二種類あります。「マカリオス」という言葉は霊的な祝福を示しております。マタイ5.1-11の箇所で用いられている山上の説教での言葉も「マカリオス」です。マタイ5.3「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。」神の祝福はすぐに与えられる場合もありますが、徐々にという場合もあります。時には、必ずしも自分の願うような祝福が届かないように思うこともあるでしょう。しかし、何よりの祝福は、イエス・キリストの救いに与っていることです。そのことに思いが及ぶ時、感謝で心が満たされます。考えてみれば、人は神の祝福なしには、歩んでいけない存在だと知らされます。箴言10.22のみことばの通りだと知らされます。
「主の祝福そのものが人を富ませ、人の苦労は何もそれらに加えない。」
Ⅱ子供のようにとは?
 
マルコ10.15の箇所では「子供のように」と書かれております。子供の特徴は純粋無垢、素直さなどが挙げられるでしょう。しかし、子供であっても、大人であろうと罪を持っているという事実は変わりません。「我罪人の頭なり」そのような心境にならざるを得ません。ですから、イエス・キリストの十字架の下にひれ伏すのです。そこから、主にある罪の赦しの確信、永遠のいのちの保証、悪魔の支配下からの解放をいただくのです。これはまさに福音です。
 それと同時に示されるなら、悔い改めの祈りも必要です。そこでまたリセットされて、新しい恵みに潤されます。だから、繰り返し、私達はやり直しが出来るのです。感謝なことです。
 願わくは、子供のような純真な柔らかな心に日々、造り変えて頂き、新しい主の恵みに浴させていただきましょう。
 さらにお一人お一人の上の主の祝福と信仰生活が豊かでありますようにお祈り致します。