律法における祝福


 今年は、4月より週報がリニューアルされます。その中に十戒も組み込まれます。それで、改めて律法とは何であるかを見ていきたいと願っております。
Ⅰ律法とは何か?
 律法と訳されるヘブル語は「トーラー」ですが、「指示」「教導」を意味するそうです。その中でも、信仰生活の指針として最も身近なものは十戒(十のことば)です。律法のイメージは、窮屈感、拘束感でしょうか?本来はそうではありませんでした。レビ記18章5節を引用します。「あなたがたは、わたしのおきてとわたしの定めを守りなさい。それを行う人は、それによって生きる。わたしは主である。」これは神の「おきて」を守る者が、救われると証言しているのです。これが、律法の特質です。律法の役割を知ることは、何とも情けない自分自身の姿を知ることにも繋がります。現在、律法は私たちをキリストへ導くための養育係となりました。
 それは、神が私たちの真の幸せを願っていることでもあります。
 
Ⅱ福音とのかかわりについて
 律法の役割を知れば知るほど、自分自身の罪深い姿が浮き彫りになってきます。律法は私たちの行いを対象としています。「こうすべし、こうしてはならない」というところに主眼点を置いています。一方、福音はこの私を対象にせず、イエス・キリストを対象にしています。イエス・キリストは、私にとって救いであり、平和であり、私の罪の身代りとなって死なれたお方です。このお方を絶えず、心に覚える者として歩みたい者です。イエス・キリストの十字架の前に悔い改め、十字架を見上げる時、確実に罪の赦しと平安が与えられます。これは。福音に与っている者たちの祝福です。
 この恵みが私たちの人生を豊かに充実したものにするのですから。
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」(ヨハネ14.6)
 神の祝福がありますように、お祈りしております。