教会の沿革

万町にあった最初の教会
万町にあった最初の教会

宣教師の祈り

ワーダル宣教師
ワーダル宣教師

1949(昭和24)年2月20日に、日本の火災史上に名を残す「第一次能代大火」(第二次能代大火は1956年3月20日発生)と呼ばれる大規模な火災がありました。火勢は夜明けまで衰えず、出火から7時間余りを経てようやく鎮火しました。中央官公庁街、商店街、木材工場街、住宅街の大半、市街地面積の42%が焼失しました。焼失世帯2238(全市9415世帯)、死者3人、負傷者874人という大災害でした。

 

その「第一次能代大火」から半年後、8月25日に、モーリス・A・ワーダル師を乗せた貨物船が横浜に入港しました。彼はアメリカのルーテル同胞教団が遣わした最初の宣教師でした。

ワーダル師は東北地方での宣教へと導かれ、山形県酒田市を足がかりとして、北上して秋田市へと宣教を進めていました。


そして、その年の暮れに、ワーダル師は能代を訪れています。戦後の苦しい経済状況の中で、復興に懸命になって生きる人々を目の当たりにして、非常に心を痛められて、能代の人々の救霊のために祈られました。

宣教開始

ナイフス師ご夫妻
ナイフス師ご夫妻

1950(昭和25)年6月頃に、ワーダル師はアーサー・ナイフス師夫妻を伴って、再び能代に訪れています。市内を一望できる能代公園で、能代の街を眺めつつ宣教活動をする決心をされました。酒田、秋田に続く第三の宣教地として能代を選ばれました。

そして、路傍や公民館での宣教活動から始めました。その年の秋には土地を購入して、翌1951(昭和26)年の春から教会堂の建築が始まり、6月に献堂されました。

初代宣教師として、ナイフス師夫妻が着任され、能代ルーテル同胞教会の歩みが始まりました。

 

教会の移転

移転した当初の教会全景
移転した当初の教会全景

1970(昭和45)年9月20日に新会堂が献堂され、教会は花園町へ移転しました。併設された保育園「能代ルーテル保育園」は9月6日に開園しました。

新会堂の建設と幼児伝道のための保育園の開設を、教会員一人一人が7年間も熱心と忍耐をもって祈り続けました。神のくすしい導きに驚かされました。

しかし、保育園は少子化など諸事情により、1996年3月に閉園しました。 今でもルーテルと言えば、教会よりも保育園を連想する人も多いようです。

昨日も今日もいつまでも

現在の教会の全景
現在の教会の全景
宣教師たちの祈りによって、宣教が始められ教会が建てあげられましたが、宣教開始から60年以上が過ぎ、当時の様子を知る者も少なくなりました。

しかし、当時も今も変わることなく、主への賛美と祈りと礼拝が絶えることなく捧げられています。

 

少子高齢化と過疎化による人口減の著しい地域にあって、その影響を教会も受けてはいます。信徒の高齢化と減少は避け難いことであると考えてしまいそうです。

でも、たとえ地域の現状に希望が持てないとしても、地域にある教会には、失望に終わることのない本物の希望があります。その希望を与えてくださるのは、聖書の神のみことばだけです。

魂を救い希望を与える神のみことばが能代・山本・大潟村の人々に、宣べ伝えられますように祈ります。宣教師たちを始め歴代の教職者たちや信徒たちが祈られたように。