私たちの真の使命とは

 

私たちは時折、救われる前の自分の姿を思い起こしてみる必要があるのではないでしょうか?

 

 パウロは自分のことを「私はその罪人のかしらです。」と告白しました。クリスチャンを迫害した彼にとってそれは偽らざる告白だったのでしょう。彼は劇的な回心を経験しています。それほど、劇的でなくとも、私たちもそれぞれに救いの物語が与えられております。すべての人々に共通しているのは、一方的な主の恵みによって救いに与かったことです。

 

 その恵みがさらに人から人へと証しされ、救いの拡がりを願わされます。

 

 しかし、残念ながら信仰の破船に会って信仰から離れた方々もいらっしゃることでしょう。そのために続けて、リバイバルのために祈り続けていく必要があります。

 

 証しの内容ですが、次のみことばを思い起こします。

 

「神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしなのです。」(Ⅰテモテ2:5-6

 

このみことばから証しとは、主イエス・キリストを指し示すことだと教えられます。

 

「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられる。」(Ⅰテモテ2:5)これが、大きな、広い、神のみこころです。

 

 願わくは、私たちがさらに救霊の思いに満たされますように。

 

 なぜなら、私たちが今、生かされているのは主イエス・キリストの証人として歩むためなのですから。

 

私たちが与えられた使命に喜んで仕えることが出来ますように。

 

 お一人お一人の信仰生活が豊かに祝福されますように。それがご家族にもおよんでいきますように。