満ち足りる心を養う

 たちの心は「今」満ち足りているでしょうか? それとも不平不満や思い煩いで溢れているでしょうか?

 パウロは愛弟子、テモテに2通の手紙を書きました。その一つがⅠテモテ書です。Ⅰテモテ6章の前半には幸いな対人関係のあり方が書かれています。Ⅰテモテ6:1には「くびきの下にある奴隷は、……」これを現代の雇い主と従業員に置き換えて考えてみま

 雇い主が未信者である場合、相手に対して十分に尊敬を払うべきだと勧められております。なぜなら、それは、最終的には主の証しに繋がるからです。そのためには、日々、主あってへりくだりの心が養われていくことが大切です。それは日常茶飯事の様々な出来事を通して。

次に雇い主が信者である場合、相手を軽く見ることをしない勧めがなされています。「親しき仲に礼儀あり」と言うことわざもあります。親しくなることは幸いなのですが、度を越して馴れ馴れしくならないように慎みを養いたいと思わされます。そして、高慢に対しての戒めも書かれています。高慢からねたみ、争い、そしり(悪口)なども生じてきます。何と言っても高ぶりは主が最も悲しむことです。また、何一つ悟ることも出来ません。

しかし次のみことばは恵みです。

「しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。」(Ⅰテモテ6:6)満ち足りる心、それは自分自身が外側のものに期待するのではなく、主によって満たされる心です。そして、敬虔とは信仰とも訳せることばだそうです。この箇所は別の言い方をするならば、外側の状況によって自分自身がすべて、振り回されるのではなく、主によって満たされた心が与えられることです。それは、人生の逆風にあってもです 何と驚くべき恵みではないでしょうか?

 日々、主にあって満ち足りる心を養っていただきましょう。