いつでも祈ることを

 私たちはいつでも祈ることを、聖書を通して勧められております。 

  しかし、同時に難しさも覚えさせられるのではないでしょうか?いつでも祈ることは主を信じている者たちが少しでも失望しないようにと主はたとえを用いて語ってくださっております。

  ルカ18:2-5の箇所に不正な裁判官(この世の裁判官の意味)とやもめ女とのやり取りの事が記されております。自分の訴えを正当に取り上げて欲しいと執拗に食い下が迫る彼女の姿から祈りの姿勢教えられます。「どうしてもこれだけは…聞いて頂かなければならない」これです。 

  私たちはこれほどに、真剣に熱心な祈りをささげているでしょうか? 

  次に神は生きておられることを再認識しましょう。そうでなければ、祈りは単なる独りごとになるでしょう。神は死んでおりません。次のみことばを思い起こします。

「神は死んだ者の神ではありません。生きている者の神です。というのは、神に対して、みなが生きているからです。」(ルカ20:38)さらに祈りの姿勢について、パリサイ人と取税人の二人の対照的祈りの姿を見せられます。(ルカ18:10-14)神は私たちの心をすべてご存じです。考えてみますと、私達は主の前に胸を張って本来は祈れる者ではありませんでした。しかし、イエス・キリストが私達の罪の身代わりとなって死なれたこと、その事実を受け入れ、信じたゆえに、神前に大胆に出て祈れる者とさせいただいたのです。感謝なことです。「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。」

(Ⅰヨハネ5:14)主に 感謝しつつも大胆に神の前に出させていただき、みこころにかなう祈りをさらにささげていきましょう。

 祈りの祝福がありますように。