みことばの祝福に生かされ続ける

4/17(日)の午後、教会学校の「春のお楽しみ会」が行なわれました。その際、司会者が各自の自己紹介と共に今年の自分の課題等も語るように要請がありました。子供達(高校生も含む)は、幸いな課題を発表しておりました。では、大人達はどうだったでしょうか? 内心、私は興味津々でした。二人の方が聖書通読に関して語っておりました。多忙の日々を送られながらも、みことばを求める姿勢に強く、励まされ、教えられました。 

  ところで、私たちは、日々、聖書通読の必要性は理屈では解っていながらも思うようにいかない現実に葛藤している方もおられるのではないでしょうか? しかし、「継続は力なり」です。

  では、私たちはみことばに対して、どのように応答しているでしょうか?大きく二つに分けられるでしょう。

 Aタイプ・語りかけられる

みことば→受け止める→信仰・従順・

祈り・実行の意志→祝福の体験

Bタイプ語りかけられる、迫るみことば×頑固・罪・拒否・不信仰・高慢・無頓着・黙殺・冷淡→無結果 願わくは、悔い改めつつ、紆余曲折があってもAタイプへと変えられていきますように互いに祈り合いましょう。

 また、聖書を読むと同時に聖書に聞くことに関して、次のような文章がありました。引用します。「私たち自身の中に何かが起こるためには、聖書のことばをあたかも耳から聞いているかのように、それが福音書であればイエスの声、まなざし、その所作をも想像しながら聞かなくてはならないと思うのです。これには静まって魂の深いところでみことばを〈聞く〉という訓練が必要ですが、この習慣ができると聖書を読まなくてはならないという律法的、強迫的な思いから解放され、みことばを自分から求めるようになっていくのです。なぜならそれは、私たちを限りなく愛してくださる方にお会いすることになるからです。この出会いを日々積み重ねることによって…。幸いな含蓄のある文章です。

日々、私達が主のお会いすることが喜びとなりますように。、