いのちのことばを語ろう

私達は日頃、多くの「言葉」を使って人々との交わりをしています。 

しかし、私達はどれ程、相手を生かすことば、慰めることば、あるいは徳を高めることばを語っているでしょうか?心を探られます。

そして、反省、やがて悔い改めに導かれることもあります。

 ところで、使徒の働き5章の箇所には弟子達が大祭司達のねたみにより、留置場に入れられた事実が記されています。弟子達はどんな心境だったのでしょう。そのような状況下で何とも不思議が出来事が記されています。それは、主の使いが厳重な留置場の牢の戸を開いて弟子達を外へ連れ出したことが記されています。それはなぜか? 使命を果たしていただくためでした。使徒の働き5章20節のみことばです。「行って宮の中に立ち、人々にこのいのちのことばを、ことごとく語りなさい」と言った。では、いのちのことばとは何でしょうか?それは、イエス・キリストの十字架と復活のことばです。この神の福音のことばは人を真に生かすので

。そして、その人が生き生きとして変えられ続けるのです。その反対に弟子達を捕えた大祭司とその仲間達は人を恐れています。また、自分の立場を守ろうと必死になっている姿が聖書に記されています。次のみことばを思い起こします。箴言29章25節「人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる。」

 使徒の働きの記述によれば、弟子達は主の使いのことばにすぐ、従って夜明けごろ宮に入って、教え始めたようです。弟子達のみことばに対する従順さに教えられます。

 以前にも、弟子達は「あの名によって教えてはならない」と厳しく命じられていたのです。にもかかわらず、再び宣教し投獄されているのです。理屈で考えるなら、弟子達は何と愚かなことをしたのでしょう。しかし、それは人間的な見方です。弟子達は聖霊に満たされていたのです。何よりも、主イエス・キリストにより救われたという喜びに満たされていたからに違いありません。私達も主に対する喜びを持ちつつ、証しをさせていただきましょう。