生ける水を慕い求めて

 8月は暑い日々が続きました。暑さとともに熱中症の危険にもさらされることになります。私達の肉体の飢え渇きは食物や水分補給等により渇きはいやされていきます。 
  では、霊的な飢え渇きは何によって満たされていくのでしょう。そして、霊的飢え渇きは気づきにくいのが特長ではないでしょうか?
   ヨハネ福音書4章4節以降には主イエス・キリストと出会い霊的飢え渇きが癒された女性の記事が書かれています。彼女の名前は書かれていません。ただ、サマリヤの女と記されています。彼女は主イエス・キリストと出会うまで、自分自身の内面等を考えることもなかったのでしょう。しかし、人目を忍んで水汲みに来たことが主イエス・キリストと出会うきっかけとなりました。主イエス・キリストはこの女性とお会いになるため、わざわざサマリヤを通られたのです。一人を大切にされる主イエス・キリストのご性質をこのようなところからも知らされます。彼女は主との対話を通して、徐々に心が開かれていきました。彼女は自分自身が霊的に渇いていること、そして渇きを満たして欲しい主に切望しました。15節のみことばです。女はイエスに言
った。『先生、私が渇くことがなく、もうここまでくみに来なくてもよいように、その水を私に下さい。』」と語っています。やがて、主イエス・キリストは彼女の核心に触れていきました。それは、彼女にとって闇の部分でもありました。きっとそこだけは触れて欲しくないところだったのでしょう。しかし、彼女は主との対話を通して変えられていきました。罪の告白、そして悔い改めへと導かれていきました。聖書
にはその通りには書かれてありませんが。 私たちは自分自身に対して、他の人に対してもなかなか素直になれない厄介
な存在だと思わされます。それは、まさに、罪人の証拠です。しかし、サマリヤの女は変えられ、人々に証しすることが出来ました。私達も日々、生けるいのちの(みことば)を慕い求めて歩んでいきましょう。「わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」