初めの愛を忘れない

私たちは何事においても初めの思いから遠のいてしまう傾向があるのではないでしょうか?「初心忘るべからず」ということわざもありますが。結婚生活、入学時の新鮮な思い等 

  ところで、聖書のヨハネの黙示録に記されているエペソの教会は「初めの愛から離れたこと」について叱責がされております。ヨハネ黙示録2:2-3には次のように記されています。

「わたしは、あなたの行いとあなたの労苦と忍耐を知っている。また、あなたが、悪い者たちをがまんすることができず、使徒と自称しているが実はそうでない者たちをためして、その偽りを見抜いたことも知っている。あなたはよく忍耐して、わたしの名のために耐え忍び、疲れたことがなかった。」このように、エペソの教会は成熟した教会ともいえるでしょう。忍耐力もあり、異端を識別して取り除くことも出来ました。

  しかし、残念ですが、初めの愛からかけ離れてしまったのです。それが叱責の原因でした。エペソの教会

はパウロ達が第3回伝道旅行の際に開

拓した教会でした。それは使徒の働き

19章~20章に記されております。開拓当初は、神の愛に溢れた教会だったのでしょう。しかし、時代と共に様々な出来事の中で少しずつ変化していったのかもしれません。それはいつの時代もどこの教会にも起こりうることではないでしょうか? しかし、いつでも希望はあります。ヨハネ黙示録2:5「それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行いをしなさい。」このように記されております。

悔い改めはギリシャ語ではメタ(変化)、ノイヤ(思考)という言葉が使われているのはよくご存じのことと思います。

自分の心、思いが全く変えられること

です。心を変えてくださるのは主ご自

身です。ですが、自分自身の意志を全

く明け渡す必要です。このところが、

厄介で葛藤し困難なところです。しか

し、それを通り抜けるとそこには、何

にも変えがたい主の恵みの赦しである

のです!心の底から湧き上がる喜びで

す。 信仰の勝利の歩みを続けさせていただこうではありませんか。