神学校のために祈りましょう

 11月は「神学校を覚える月間」としてルーテル同胞神学校では位置付けていることを知らされました。現在、神学校で学ぶ学生はおりません。そして、教団28教会(石巻希望の家を含む)の現状は、専任教職不在の教会は6教会です。また、継続教職(65歳以上)は7教会です。さらに定年齢に近い教職となりますとさらに増えていきます。この現状だけを見ますと将来に対して、なかなか希望を見出すことが困難です。そして憂える状況です。あえて、季節で言うならば教団神学校冬の時代と言わざるを得ません。 

  では主は誰を選んでいるのでしょうか?神の選びの不思議さを思わずにはおられません。Ⅰサムエル16:1-13の箇所には、イスラエルの2代目の王のしるしとして油そそぎのことが記されています。ダビデの父エッサイには8人の息子が与えられておりました。預言者サムエルが長男エリアブを見て、彼が2代目の王としての油そそぎを受けるに違いないと確信しました。しかし、神の視点は違っていました。Ⅰサムエル16:7

「しかし主はサムエルに仰せられた。

『彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。』」このように記されています。神の視点と人の視点は違うと改めて思わされます。その後、羊飼いをしていた末っ子のダビデが連れて来られ油注ぎを受けられました。

 では、第一代目のサウル王はなぜ王位から退けられたのでしょうか? 王としての能力や賜物に欠けていたのでしょうか? 彼は神のみことばに聴き従うことを退けたのです。それは、イスラエルの王として、致命的でありました。これは、王の選びや献身者だけに求められているのではありません。すべてのクリスチャンに求められているのです。そして、もしあなたに主の召しの声が聞こえたら聴き従いましょう。その声に蓋をするのはやめましょう。

 続けて、神学校の働きのために、特に献身者が起こされるように祈り続けていきましょう。

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コメント: 1
  • #1

    元ルーテル (金曜日, 23 12月 2016 19:26)

    わざわざ仙台の神学校に行って被曝しろとでも?