日々新しく

  2017年も早くも下旬になろうとしています。新年の時の固い決意や目標からは大分、遠のいてしまっている方もおられるかもしれません。でも、大丈夫です。やり直しは何度でも出来ますから。 

  ところで、2017年は宗教改革が始まってから500年の記念の年になります。1517年ドイツのカトリック教会の修道士、マルチン・ルターが当時の教会の腐敗的な事柄の改革を訴えたことがきっかけとされています。そして、中心聖句は①ローマ3:21-26 ②ガラテヤ2:16です。今年は教団聖会が全体で行われます。宗教改革の発端に思いを巡らす年とさせていただきたいと願います。中心聖句の一つとなったガラテヤ2:16のみことばを次に記します。

「しかし、人は律法の行いによっては義と認められず、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる、ということを知ったからこそ、私たちもキリスト・イエスを信じたのです。これは、律法の行いによってではなく、キリストを信じる信仰によって義と認められるためです。なぜなら、律法の行いによって義と認められる者は、ひとりもいないからです。」

 ところで、Ⅱコリント5:17では「だ

れでもキリストのうちにあるなら、そ

の人は新しく造られた者です。古いも

のは過ぎ去って、見よ、すべてが新し

くなりました。」と記されております。これは、私たちがイエス・キリストを信じて古い人が死に新しい人として創造されたということです。再創造されたといったら良いでしょうか? 何と感謝なことでしょう。しかし、信仰生活が続く中で、古い人が顔を出すこもあるでしょう。それは、自分自身を苦しめ、他の人々をも苦しめることになるでしょう。 その時、心が主に向けられたら幸いです。Ⅱコリント3:16のみことばです。「しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。」 祈りつつ、日々、主に心を向ける年とさせていただこうではありませか?その時、あなたの歩みは日々、内側から新しくされるでしょう。