「あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。」(Ⅰコリント12:27)
上記のみことばは、キリストの体に結びついたクリスチャンの姿を現していると思います。この箇所から二つの事を取りあげます。
1信仰にある調和とは何か?
調和という言葉から連想するのは、オーケストラやアンサンブルではないでしょうか? アンサンブルの場合、奏でる楽器は違いますが、同じ楽曲を演奏します。互いに奏でる楽器の違いはあっても、同じ曲を目ざして演奏します。では、教会の働きにおいてはどうでしょう。互いに賜物の違い(多様性)を認め合いながら、教会を建て上げていくのです。その中には、人目にはほとんど触れることのない働きもあるでしょう。しかし、神の目にしっかりと覚えられております。何という慰めでしょう。不協和音は耳触りが悪いし、聴き苦しいものです。教会の働きがそのようにならないように切に祈ります。
2信仰にある一致とは何か?
エペソ4:2-3には次のように記さております。
「謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。」
一つ一つの徳目が丁寧に結び合わされて御霊の一致が保たれていく様子が見られます。
そのために、主イエス・キリストを信じる者たちに与えられている聖霊に一人一人が、まずより頼むことです。それが、何よりも最優先されるのです。その時に互いの一致、結果として御霊の一致に繋がっていくのです。主の前に心砕かれ、柔らかにさせていただきましょう。
共に、賜物の違いを認め、生かし合って、主の前に喜びと感謝をもって、誠実に歩んでいきましょう。
さらに信仰生活が祝福されますようにお祈りします。