与えられた恵みによって

 教団主催のルター500聖会も徐々近づいてきました。もう一度、信仰の原点を思い巡らす良い機会となりますように。それは、恵みの再発見でもあります。ローマ12:3の箇所には次のように記されております。 

「私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、思うべき限度を超えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。」

 特に注目すべき箇所は自分に与えられた恵みによってです。恵みは価なき者に与えられる神の憐れみのことです。私たちは、イエス・キリストを信じることにより恵みによって神の救いに与かったのです。これが、信仰生活のスタートです。そして、信仰生活の途中も神の恵みによって継続されていくのです。救われたのは神の恵みによって、しかし、信仰生活は自分の力で我流となりますとどこかずれていきます。軌道修正が必要です。そこでそこに気づきが与えられ、悔い改めに導かれるなら何と幸いでしょう。ある時は聖書のことばによって、ある時は信仰の友人の何気ない言葉によって等、様々な時があるでしょう。その時の応答が大切です。これらの事柄を軽視しない、無視しないことです。なぜなら、それは、聖霊の語りかけかも知れないのですから。そして、また信仰の原点に帰らせていただくのです。極端な言い方をしますと、信仰生活はこの繰り返しと言ってもいいのではないでしょうか。ただ神の恵みに感謝します。主は私たちの罪の身代わりとなられて十字架刑に架かられ無残な死を遂げられ、三日目に蘇られました。それは、私たちを罪と死と悪魔から解放してくださるためでした。これが信仰生活の原点です。その結果として教会における奉仕も献金も集会出席も出来るようにされているのです。ですから、イエス・キリストから絶えず心の目を離さずに、自分に与えられた働きに感謝を取り組んでいこうではありませんか。主の十字架を見上げて歩んでいきましょう。信仰生活の豊かさを味われますように。