何とも不思議な神の選び

神の選びは何とも不思議です。イス ラエルの第一代目の王サウルの選びも不思議でした。それに引き続き、第二代目の王ダビデの場合はその思いがさらに強くなります。

 サウルについて

 サウルの名前の由来は「求める」とう意味があるそうです。彼はイスラエルの民の欲求の故に王に駆り出された人物と言っても良いでしょう。そして、彼の最初のスタートは良かったです。しかし、働きの途中から神への不従順が生じてきました。その理由は色々あったことでしょう。彼自身の弱さ、戦況の悪化、部下達の離反等。しかし、何よりも決定的な事は、サウルが神のことばよりも自分の思いを押し通したことにあると言えます。自分の我を通したのです。これがイスラエルの王として退けられた決定的な理由だったと言えます。サウルの一生は次のみことばに凝縮されています。Ⅰサムエル14:52「サウルの一生の間、ペリシテ人との激しい戦いがあった。サウルは勇気のある者や、力ある者を見つけると、その者をみな、召しかかえた。」これは、人脈に頼り、策に溺れ、人に頼り切る彼の生涯をよく現しております。神のみことばに聞き従う姿勢が養われていなかったのは何とも残念です。

 ダビデについて

 タビデはエッサイの八番目の息子でした。サムエルの前にエツサイの子供達が次々と現われてもイスラエルの王としての「油注ぎ」をする人物ではないと語っております。Ⅰサムエル16:7彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが主は心を見る」では、ダビテはどんな人物だったのでしょうか。Ⅰサムエル16:18琴がじょうずで勇士であり、戦士です。ことばには分別があり、体格も良い人です。主がこの人とともにおられます。」最後の主がこの人とともにおられます。これは主の働きを進めるには最も重要な事です。残念ながらサウルにはそのような記載はありません。ダビテも失敗を経験しました。しかし、悔い改め、主を見上げて立ち直っていきました。感謝です。