私達はタラントが与えられている

マタイ24章からはこの世の終わりの こと、主の再臨の事柄が書かれています。それに引き続いて、25章では、天の御国のことがたとえで記されております。

Ⅰ タラントが与えられている

 マタイ25:14-15の箇所には次のように記されております。「天の御国は、しもべたちを呼んで、自分の財産を預け、旅に出て行く人のようです。彼は、おのおのその能力に応じて、ひとりには五タラント、もうひとりには二タラント、もうひとりには一タラントを渡し、それから旅に出かけた。」タラントは、「能力」と訳されています。これは、神が私たち人間に与えてくださった、肉体的、精神的のすべての才能や賜物と考えられます。一タラントは6,000デナリに相当するそうです。そして、当時の一デナリは通常の一日分の労働賃金とされていました。ですから、一タラントは6,000日分の労働賃金が与えられていることになります。一タラントでも多く与えられています。

Ⅱ タラントの生かし方について

 五タラント、二タラントのしもべ達は、喜んでタラントを生かし、商売をして、それぞれ倍にして儲けたと記されております。しかし、一タラントのしもべは、何もせず、与えられたタラントを地に掘って隠したと書かれております。それは、恵みを隠したようなものでしょうか?ここには、すべての人に与えられている自由意志と選択が関わっていると知らされます。それを神との結びつきの中でどのように生かしているかが問われることでしょう。

Ⅲ ご主人の対応について

 五タラントと二タラントとのしもべへのことばは同じです。マタイ25:21「よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に、忠実だったから私はあなたにたくさんの物を任せよう……。」それに対して、一タラントのしもべには叱責のことばが語られています。なぜ、このような違いが生ずるのでしょう。一タラントのしもべは、神を恐い存在として捉えているのです。しかし、心配は無用です。神は私達の性格の弱さも強さも苦手な事柄もすべてご存じです。そのお方に喜んで与えられたタラントをお返ししましょう。