霊的一致を保って

              
 ピリピ書はパウロが、ローマの監獄に収監されていた時に記されたとされています。この書簡の特色は、ピリピ教会の人々に対する感謝の気持ちに溢れていることです。また、特に主にある喜びが強調されています。パウロが獄中生活を送りながら、このような喜びに満たされていたということは驚くべきことです。
 ところで、パウロは、このピリピ書で主にある一致のことも勧めています。主にある一致の恵みを考えていきましょう。
Ⅰ 霊の一致を保つこと
 パウロは、一致を生み出すのではなく、霊の一致を保つように語っています。すでに与えられている一致の恵みを保つためにはどのようにしたら良いのでしょう。エペソ4章2節には次のように記されています。「謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、」このことは、ピリピ書にも書かれていますように、何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思うことだと勧められています。何と困難なことでしょう。聖霊により頼んでいかなければ不可能です。
Ⅱ 主イエス・キリストの歩みを思い起す(新聖歌99番に記されています)
 ピリピ2章6節~8節には次のように書かれています。「キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、……自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。」どこまでも、どこまでも、神のみこころに従い通されたのです。
 私たちもへりくだられた主イエス・キリストのお姿を思い浮かべながら、互いに愛し合い、仕え合っていきましょう。不一致や不調和、争いは神の悲しむべきことです。
 互いを受け入れ合い、尊重し合い、互いの良さを見出していきましょう。
その時、霊の一致が保たれつつ、教会の歩みがさらに前進していくでしょう。
 互いのために祈り合いましょう。