攻め取っていなかった

先聖日、二人の予期せぬ来会者がありました。一人は礼拝に出席されましたが、もう一人は礼拝前に来られました。会堂のカーテンを開けたら、いつの間にか車が教会の駐車場の入り口付近に停まっていました。嫌な予感がしました。遠くから見て秋田ナンバーでないことに気づきました。もしかして、お盆の休暇中ですから、他県のクリスチャンが来てしまったことを察しました。でも、昨今のコロナ感染状況で来るのか?と思いました。


埼玉県の方でした。恵泉キリスト教会埼京のぞみチャペルの播義也牧師です。夏季休暇を利用して、アジア・アクセス・ジャパンという宣教団体の活動で、青森に向かう途中でした。中に入れるつもりはなかったのですが、トイレを貸して欲しいと言うので、仕方なく中に入れました。更に会堂を見たいと言うので、会堂の中にも入っていただき、少し話しをして祈ってから、お引き取りしていただきました。コロナ禍でなかったら大歓迎なのですが、県外からの突然の来訪には冷たい対応をせざるを得ません。心苦しさを覚えました。


しかし、礼拝参加は許されないと認識していたはずです。彼にはどうしても立ち寄りたかった理由がありました。それは恵泉キリスト教会の茨城県の教会で、奉仕されている金野正樹牧師から、立ち寄ることを頼まれたようです。以前、金野牧師のことは友子姉から聞いたことがありました。二ツ井出身で、ここで救われた方です。友子姉同様にご存知の方もいるでしょう。上京されて、定年後に牧師になられたようです。


播牧師と短い語らいの中で、秋田県の感染者数の少なさについて意見が一致しました。他県より感染対策が優れている訳ではなく、閉鎖的な県民性が効果を発揮しているということです。これは宣教についても言えるのではないかと指摘されていました。その通りだなと思いました。士師記18章にシドン人のライシュという閉鎖的で孤立した町が登場します。この町はどうなったでしょうか。


イスラエルのダン族によって滅ばされました。ライシュは神が聖絶を命じた相続地ではありません。従って本来なら滅ぼされることの無かった町です。でも、閉鎖的で孤立した町は滅び易いのです。


ダン族は自分たちの相続地を得ようとしていました。まだ割り当て地を攻め取っていなかったからです。士師記181節(リビングバイブル)


ダン族は相続地を攻め取ることが出来ません。彼らの相続地にはホレブ人がいて、攻め込む余地が無かったのでしょう。でも、彼らが攻め込むのなら、神がそれを取らせて下さったに違いありません。何故なら神の約束の地であるからです。ところが、より組みやすい町を探し出して、ライシュを容易く攻略したのです。要するに神の約束を信じることが出来なかったのです。神の約束を信じていたら、閉鎖的な町は滅ぼされなかったはずです。そこにも滅びではなく救いが訪れたでしょう。私たちは神の約束を信じましょう。宣教と信仰生活も相続地を攻め取るような壮絶な戦いの日々であったとしても、神の約束を信じて立ち向かえば、間違いなく圧倒的な勝利者とされるでしょう。